2016年1月3日 手土産
今日書きたいことは1つの出来事から感じたことについて。
しかし、いろんな面から見てもこの話を膨らますことができる。
そのためどこの観点から考えて書き出そうか迷ったが1つに絞った。
その他はまたいつか書く機会があれば書こうと思う。
普段僕は東京に住んでいる。今日久しぶりに実家に帰った。
僕は実家に帰ると必ずお墓を参ることにしている。実家を通る機会があるときもお墓を参る。
それは親父が事故をしてからだ.....
まぁこの話は置いておこう。
お墓の近くにはおばあちゃんの家があり、だいたい地元に戻る時は顔を出すようにしている。
そのため東京から実家に帰り、そして墓参りと同時におばあちゃん家に寄ろうとするときにオカンにこんなことを言われた。
母親「手土産は持った?」
僕 「買って帰ってない」
母親「大人にもなって手土産くらい持った帰りなさいよ!」
僕 「なんで?」
母親「当たり前でしょ!」
っとこんなやりとりがあった。
とても疑問だった。何が当たり前なのだろう?っと
最初に述べたように
このやり取りはいろんな観点から見ることができる。
心理学や日本の文化、人間のモラルの問題、当たり前...........。っとまぁこんな感じで。
だがしかし、僕がここで言いたいのは「当たり前」の話。
みんなが当たり前と思っていることは本当に正しいのだろうか?ただ多数決で多い方に流されているだけではないのか?........と。
ほとんどの人が日々何も考えずに進んでいる。これってすごく楽なことだと思うけど実はとても危険。
何が危険かって誰も本質を見ていないということ。本質が見えていないものなど当たり前でも何でもない。
この手土産も本当に感情を込めている人がどのくらいいるのだろうか。
作業的に行われているのではないだろうか?なぜお歳暮は年末だけに持っていくのだろうか?
もっともっと考えるべきである。
何も考えていないこの行動の蓄積が
案外今の日本に危険や被害をもたらしていることに気付けていない。
とにかく本質を見極め理解してほしい。
もっともっとこの本質にこだわるべきである。
本当に大事なものは目では見えない!
もっともっと当たり前だとか常識を常に疑ってほしいなと思った今日の一コマでした。
おわり。
僕は常にチャレンジャー。